仙台不動明王の話
【第一話】仙台不動明王は神?それとも仏?
大本山成田山仙台分院へお参りにみえる方々を見ていると、本堂前で柏手を打つ人がよくいます。
どうやら当山を神社だと思っているようです。
いや、それ以上に、御本尊仙台不動明王を神さまだと思っている人はかなり多いようです。
確かに、「神仏」というように日本では昔から神と仏とを混同して祀ってきました。
仏教にしろ、神道にしろ、大変寛容な宗教であるが故に起こったことでありますが、もともと仏教では天部と呼ばれる一群の尊格があり、これはインド古来の神々(帝釈天や大黒天、弁才天など)ですから、なおさら混雑してしまったこともあります。
ここでよく神々(天部諸神やいわゆる八百萬神)と間違えられてしまうのが「明王部」と総称される尊格群です。
不動明王を始め、軍茶梨明王、降三世明王、孔雀明王などがそれですが、この明王は、実は如来や菩薩と同様に仏です。
ところが、その姿は他の仏菩薩と異なり、目をカッと見開き牙をむき出した怒りの表情をとり、顔や手足が異様に多く、しかも蛇や髑髏を身にまとう等、目にする者に恐怖心すら起こさせます。
そのため、天部に属する阿修羅等の神々と同一視しまうのです。
しかし、この異形こそ、我々衆生を救おうとする仏の慈悲の表現なのです。
【第二話】教令輪身
いわゆる仏は、教化の対象によって三種類の姿を現すという思想が密教にはあります。
これを仏の三輪身といいます。
第一は、唯あるがままに真理を説き続ける姿で自在輪身とよばれます。
大日如来をはじめとする如来という尊格群がこれにあたります。
第二は、仏に救いを求める人々の間近に現れ、それぞれの苦脳に応じて法を説く姿です。
これを正法輪身といい、観世音・地蔵・文殊師利などの菩薩を指します。
第三番目にあたるのが不動尊等の明王と呼ばれる尊格です。
明王は仏の教令輪身といわれます。
つまり、強剛難化の衆生(悪業が深く、なかなか仏の教えに耳を向けようとしません。そればかりか、むしろ正法を誹謗するような人々)に対しては、圧倒的な大威力を示すことによって降伏せしめ、よって仏道に従わせるのです。
不動明王が力の仏怒りの仏と呼ばれるのは、この為ですが、結局はこれも誰一人として救わないものは無いという仏の深い慈悲の現われなのです。
故に正法輪身たる菩薩の慈悲を温かい母の懐に喩えるならば、教令輪身たる不動明王の慈悲は、厳格な父の鉄建に喩えることができるでしょう。
【第三話】不動なる尊者
成田の不動明王、といえば、古来より日本民間信仰の雄として、あまりにも有名です。
大本山成田山新勝寺は全国に一千五百万人の信徒と擁すといわれ、我が国における不動尊信仰がいかに強いものかをうかがわせます。
一般にお不動さまを親しまれ、不動尊、不動明王等と呼ばれている仏の御名は、梵語アールヤ・アチャラ・ナータの漢訳であり、「動かざる聖尊者」というような意味になります。
不動とは、一切の罪障を破り動揺しないということ、つまり不動明王は、いかなる煩悩、障礙に対しても、決してたじろぐこと無くその本誓を遂行し続ける大堅固力を有する仏なのです。
だからこそ、私達衆生の願う所に応じて、霊験を現してくださいます。
江戸時代末期の政農家として名高い二宮尊徳が、成田山不動明王を、己の生き方の手本としていた、という話が残されています。
尊徳翁は『不動尊』の名号を「動かざれば尊し」と解釈していました。
どのような困難に突き当たろうと、ひるまず、逃げず、唯唯ひたすらに信念を持って事に向かいます。
不動心があればこそ、大衆を救うという大願を成し遂げることが出来たのでしょう。
自己に対する厳しさが無ければ真の慈悲は身につかないのです。
不動明王が大慈悲の仏と云われる所以です。
【第四話】奴僕三昧
仏教者にとって、その最終目的はいうまでもなく「さとり」を得ることです。
そこで問題となるのが「どうすれば、さとりに至ることが出来るのか?」ということで、その方法論の違いにより、仏教は様々な宗派に分かれているのだといえます。
ところで密教では不動明王の姿こそさとりに到る方法を示したものだと説きます。
しかし、その尊像は、見れば見る程、仏さまらしかぬ姿をしています。
それは何故でしょう。
まず、仙台不動明王は大変肥っています。
儀軌には不動は「充満せる童子形に描け」と書かれています。
インドでは肥満は富貴の相を表すと考えられており、また童子は青年(但し、インドでは四十代ぐらいまでは青年と看作される)の仏道修行者を意味します。
つまり、不動明王は高貴な出の修行者なのです。
が、しかし身に着けているものは非常に質素でみすぼらしいのです。
上半身は裸でただ左肩から一本の帯を襷掛けにしているのみで、下半身はまた裙(腰巻き、またフンドシ)一枚しか着けていません。
他の菩薩のようなきらびやかな装身具もなければ、如来のように袈婆を着けているのでもありません。
この格好は古代インドの召使い、特にお給仕さんの着衣であったといわれます。
つまり不動明王は大日如来の給仕(手伝い)をしているのです。
これは不動明王の奴僕の相と呼ばれるもので、本来は高貴な身分であるはずの不動明王(実は宇宙の真理そのものである大日如来の化身)が敢えて召使いの姿をして、衆生の下に仕えている様子を表現したものです。
そして、それが全ての衆生を救済するための修行なのだといいます。
不動明王はその姿をもって、「全ての人々に奉仕することが、さとりへの道である」と教えておられます。
しかも頭で理解しただけでは駄目で衆生救済のために具体的な活動を行うことが大切なのだといわれます。
密教の根本経典『大日経』にも「さとりの智慧は方便道(現実の衆生救済活動)によって究竟に到る」と説かれています。
【第五話】 酉年と仙台不動明王
「あなたは酉年生まれだから守り本尊は不動明王ですよ。」このように言われて成田山詣でを始めた人も結構多いのではないでしょうか。
日本では古くから、誕生年の干支に合わせて一体の神仏をその人一代限りの守り本尊として信仰する習わしがあります。
千手千眼観世音菩薩・虚空蔵菩薩・文殊師利菩薩・普賢菩薩(愛宕権現)・大勢至菩薩・大日如来・不動明王・阿弥陀如来(八幡大神)の八尊がそれぞれ各十二支を司っており、各人の誕生年・誕生月の干支を主宰する尊格をまつることで、災難を防ぎ福を招くことが出来ると信じられました。
この起源・典拠は今ひとつ明らかではありません。
おそらく中国伝来の易や陰陽道と仏教、特に密教が民間の信仰のなかで結び付いたものと思われます。
八尊と十二支・十二月(旧暦)・方位の関係 いま仮に八尊と十二支・十二月(旧暦)・方位の関係を示すと右表のようになります。
たとえば拙僧は旧暦では昭和41年丙午の6月18日生まれなので年でみれば勢至菩薩、月でみれば普賢菩薩が守り本尊ということになります。
もっとも何故その年、その位置にその仏がいましますのかはよく判りません。
しかし、神仏を遠い異界の住人としてではなく、常に私達のすぐ側にあって守護してくれるモノとして尊崇していた人々にとっては至極当然のことだったのでしょう。
さて、来る平成5年は癸酉で成田山の御本尊仙台不動明王の年ということになります。
そうすれば、来年は仙台不動明王との御縁を深めるには最高の年ということも出来るでしょう。
酉年生まれの人はいうまでもありませんが、それ以外の人でも仙台不動明王の御利益にあずかりたい人は来年こそ成田山詣でにいくといいかもしれません。
なお、この百年間で干支に酉がきている年は次の通りです。
明治30年丁酉・42年己酉
大正10年辛酉
昭和8年癸酉・20年乙酉・32年丁酉・44年己酉・56年辛酉
平成5年癸酉
【第六話】不動明王の住所1
「不動明王の御住所は何処ですか?」と、誰かに質問されたら貴方はなんと答えますか。
A:「やっぱり神様だから天国でないの?」
B:「いやお不動明王は神様じゃなくて仏様だって。」
C:「んじゃ、極楽浄土か?」
D:「それは阿弥陀如来でしょう。」
A:「わっかた、天竺(インド)だ!」
D:「今のインドには仏教は無いって、このあいだ本で読みましたけど。
(注:厳密には間違いです)」
A:「それじゃ何処よ?」
C:「成田山だろ。」
B:「成田山って全国に七十六もあるんだぜ。それにうちの菩提寺の御本尊も 不動明王だぞ。」
C:「ああ、おまえんとこ真言宗だもんな。」
A:「お不動さまって真言宗の仏様なの?」
C:「密教は真言宗だろうがよ。」
D:「いや、天台宗も密教のはずですよ。」
B:「そういえば、オレ禅宗のお寺で不動明王を祀ってるところ知ってるぜ。」
A:「どれが本物なのかな。」
D:「本物とか偽物とかいうことはないでしょう。」
B:「そいいえば前に歌舞伎を観にいったら金剛界の二人の不動明王が出ていた な。」
D:「不動明王はたくさんいるのかしら?」
C:「そんなら、住所なんてわかんねぇだろがよ。」
A:「何処にでもいらっしゃるのでないの?」
C:「何処にもいなかったりしてな。」
B:「いや、本来仏陀とは宇宙に遍満していると聞いたことがある。不動明王もそうなんじゃないか。」
D:「難しいですね。」
さて、いろいろ考えられるようですが、貴方はどうおもいます。
えっ?もったいぶらずに早くおしえろって?
それは次回のお楽しみってものです。
ただ、前の四人の会話はヒントですからね。
【第七話】不動明王の住所2
A:「不動明王のお住まいってどこなのかしら?」
D:「こういうのはプロに聞いた方が早いでしょうね。」
B:「菩提寺の和尚様に伺ってみよう。」
C:「えーっ、オレ坊さんって苦手なんだよなぁ。」
(次の日)
B:「和尚様、不動明王のお住まいはどちらなのでしょうか。よく判らないので教えて頂きたいのですが。」 和尚:「ふむ、ところで皆はどう思うのかね?」
D:「はい、天国だとか、極楽だとか。えーと、それからインドとかお寺というのも出ました。」
C:「Bは宇宙だなんていってたよな。」
和尚:「なるほど、皆いろいろ考えてみたようだね。いや、感心、感心。」
A:「どれが正しいんですか?」
和尚:「考えようによっては、全部正しいともいえるね。」
D:「それでは、不動明王は複数存在するのですか?」
和尚:「お一人だともいえるし、無数にいらっしゃるともいえる。」
C:「あー頭痛え!、禅問答えみたいな言い方はやめてください!」
和尚:「まあ、そういわんと、続きを聞きなされや。『聖無動秘密陀羅尼経』には、法身大日如来の説法の座において普賢菩薩が文殊菩薩より智慧の利剣を受け取り、火生三昧に入った姿が不動明王なのだとある。そして、この大日如来の説法の座とは『大日経』や『金剛頂経』には色究境天の金剛法会宮殿だと説かれておるな。」
D:「シキクキョウテンって何ですか?」
和尚:「インドでいう天国の一つだね。古代インド人は世界の中心に須彌山という高さ56万キロメートルのとてつもなく大きな山がそびえていると考えていた。その中腹を月と太陽が回っていて、ここから上は天界つまり神々の領域になる。須彌山山頂には帝釈天が住む33天があり、さらに上空に25の階層からなる天界があるとされた。このうち色究境天は上から五番目に」位置する世界で物質存在の限界。これより上は識作用だけの世界なんだ。」
B:「それでは、不動明王のお住まいは天界だと考えてよいのですか?」
和尚:「いや、実はこの説には裏に隠されたもっと深い意味があるんだよ。」 続く
【第八話】不動明王の住所3
和尚:「さて、どこまで話しておったのかな。」
D:「不動明王が色究境天の金剛法界宮殿で大日如来の説法の座にいる、というところまでです。」
和尚:「ああ、そうだったな。それでな、これにはさらに深い意味がある。そもそも大日如来というのは宇宙を作り出している根本の法を体とする仏(法身仏)でな。だから密教ではこの世の全ての現象はみな大日如来の説法だと考える。そうするとな、実際の大日如来の説法の会座は、どこかの限定された空間ではなく、宇宙全体。それこそ至る所で説が行われているということになるのだよ。しかもこれは見方を変えると、我々人間自身も大日如来が説く法の一説という大切な役割をそれぞれが担っているということになるんだ。」
B:「この世には誰一人として不必要な人間はいないということですね。」
和尚:「その通り、全ての命は平等に貴いのだ。」
A:「仏教の教祖はお釈迦さまでしょう?」
和尚:「大日如来はお釈迦さまの『おさとり』を人格化したものだな。」
D:「それでは釈迦如来と大日如来は同じ仏様ということですか。」
和尚:「ふむ、解りやすく言えば、お釈迦さまは大日如来の一部ということだ。そして、お釈迦さまに限らず一切の仏は大日如来の総徳の一部を代表する化身、分身なのだよ。」
C:「それじゃ、不動明王もそうなのか。」
和尚:「うむ。ただ、不動明王はちょっと特殊でね、大日如来の使者だとされておる。大日如来の意思に従って直接行動を起こす仏様なのだよ。お不動さまは方便(智慧と慈悲に基づいて現実に人々を救う手段)の象徴だ。密教では仏道の究境を方便におくのだね。だから、お不動さまは密教修行者の理想の姿なんだ。その意味では不動明王と大日如来とは全く同じ仏だともいえる。だから『仏説聖不動経』に、《無相の法身虚空と同体なればその住処なし。但し衆生心想の中に住したもう。》とあるのは、つまり大日如来と同様、お不動さまは何時でも何処でも我々とともにおられるということなのだね。」
【第九話】青黒色
私たちは普段、様々な色彩に囲まれて生活しております。
そしてこれらの色彩は私たちの感情と密接にかかわっています。
炎に象徴される「赤」は、暖かい、激しい、といったイメージと強く結びついています。
逆に「青」からは、冷たい、静か、といった印象を受けます。
ある色が私たちに特定の感情を引き起こす場合がありますし、また逆に、ある感情を表現するために特別な色を使うこともあります。
お不動様は全身が青黒い色をしていますが、この色にも深い意味が込められています。
ひとつには青黒色は我々の煩悩を表しています。
私たちの心の奥でうずうずと常にうごめいている暗いイメージの悪い心が青黒色に表現されるのは、確かにふさわしいことかもしれません。
また一方で、この色は怒りの極限の状態を表しているとも言われます。
我々も怒って興奮すると顔が赤くなりますが、怒りさらに激しくなりますと顔色は青くなってゆきます。
この怒りが極まった状態が不動明王の青黒色の身体に表現されているのです。
この怒りは、父親の拳にしばしば喩えられます。
お不動様の身体の青黒色には二重の意味が込められています。
ひとつには我々の煩悩、そしてふたつめにはさらにその煩悩を打ち砕く怒りの力です。
お不動様は、われわれの煩悩を一身に引き受け、その煩悩を打ち砕いて、難化(救いがたい)の衆生を救済することを心願としていられます。
その困難な心願を達成する忍耐、努力、精進、こうしたものを象徴するのが、お不動様の全身の青黒色です。
お不動様の「青」は空のように澄み切った青ではありません。
それはすべての生命を育んできた海の色に似ています。そこには母親の愛情と同様の深く大きな慈悲があふれているのです。
【第十話】忿怒形
一般に仏様というと「穏やか」とか「優しい」といったイメージがあるのではないでしょうか。
私たちがよく目にする阿弥陀様、観音様などの仏像は、大変に優しい柔和なお顔だちをしていらっしゃいます。
ところが、同じ仏様でも不動明王は怒ったような恐い顔をしていらっしゃいます。
一般の仏様のイメージからあまりにもかけ離れていて「不動明王は仏様ではないのではないか」と考える方がいるのも無理からぬところです。
なぜ不動明王はあんなも恐ろしい表情をしているのでしょうか。
私たちは両親の限りない愛情に囲まれて育ってきましたが、両親の子供に対する愛情は実は同じものでも、父親と母親とでは実際の子供に対する接し方はかなり違ったものとなります。これと同様に仏様の慈悲にも二つの側面があります。
一つは「母親の涙」にたとえられる摂受の慈悲です。
常に私たちの身近にいて困った時にはすぐに助けてくれます。
悩みがある時には優しく相談にのってくれます。
母親が赤ん坊を抱くように、私たちをいつでも暖かい懐に迎え入れてくれます。
仏様の慈悲のこうした側面が、阿弥陀様・観音様の優美なお姿に表現されています。
あと一つは「父親の拳骨」にたとえられる折伏の慈悲です。
普段はあまり口を開かなくてもイザという時、頼りになります。
危険な外敵からは身をていして守ってくれます。
子供が壁に突き当たっている時でも、時にはあえて子をつきはなし、その成長をかげでそっと見守っています。
また子供が間違った方に進もうとしている時は厳しく戒める。
仏様の慈悲のこのような側面が仙台不動明王のお姿として表れているのです。
阿弥陀様も観音様も、そして仙台不動明王も、すべての仏様は大日如来という一つの仏様がお姿を変えてあらわれた仏様です。
子を思う気持ちは父親も母親も同じであるように、仏様が我々を思う気持ちも一つです。
ただ、そのあらわれ方が、阿弥陀様や観音様と、不動明王とでは少し違うだけなのです。
一見恐い顔をしてとっつきにくいが、大きな愛情をもって常に我々を後ろから支えてくれる、こうした昔のガンコ親父のようなイメージで不動明王を考えれば、あの忿怒形も納得していただけ、お不動様にも親しみがわくことと思います。
最近は世の父親も優しくなったとよく言われますが、やはりどこかにこのような父親像の面影は残っているのではないでしょうか。
でも、たとえ世の父親が変わっても、仙台不動明王はいつまでも我々の厳しい父親であり続けるでしょう。
【第十一話】童子形
不動明王はよく見ると頭に髪を結った少年のお姿をしていらっしゃいます。
また身に着けているものも他の仏様のように綺麗な装身具をつけているわけではありません。
腰布一枚で大変にみすぼらしい姿をしていらっしゃいます。
これは不動明王がまわりのすべてに対して奉仕する奴僕であることを表しています。
上は大日如来の奴僕として、よく給仕の任を果たされ、下はわれわれ行者や信者の奴僕として仕え、悩み苦しむ者を守護してくださいます。
密教ではすべての人々にすすんで奉仕することが悟りへ到る方法だと説かれています。
童子形は不動明王が悟りへ到るための奴僕の修行をしていらっしゃることを示しているのです。
私たちは普段の生活の中でつい、自分さえ良ければという自分本位の考えにとらわれがちです。
職場、家庭などでの争いごと、果ては世界的規模の戦争や環境問題にいたるまで、私たちの抱える問題の多くはここに起因しています。
不動明王の童子のお姿は私たちにとって無言の戒めです。
自分を犠牲にして他につかえることが、結果的にはより大きな「悟り」を実現するというのが密教の考え方ですが、これは様々な問題の解決のヒントとなります。
私たちは不動明王の姿を見るとき、現代に欠けている「奉仕」の気持ちの大切さをあらためてかみしめなければなりません。
【第十二話】日本密教の理想像としての不動明王
不動明王に対する信仰は、今日では専ら日本のみに限定されるといわれています。
中国では度重なる仏教弾圧の結果、中世のかなり早い時代に密教の伝統が絶え、インドではイスラムの侵攻で、十四世紀初頭に仏教自体が壊滅しています。
また、インド仏教の伝統を継承したチベットでは密教の主流が大日経系から金剛頂経系へと移行したのに伴い、忿怒尊への信仰も降三世明王や金剛倍羅婆などに代ってしまっており、不動尊信仰はあまり盛んではありません。
大乗仏教の集大成として「方便即菩提(衆生済度のための現実的実践活動こそ悟りであるということ)」を打ち出した大日経系密教に対して、金剛頂経系密教は、ヨーガに依って誘導される神秘体験を重視する傾向が強く、後期のもの程頽廃的・攻撃的且つ反社会です。
日本の真言密教は両系が渾然と成っているが、基本的には大日経に重きが置かれています。
そして、日本でのみ不動尊信仰が盛んなのは、この事と決して無関係ではありません。
大日経の教理は智慧と慈悲に基づき、無限の方便行を重ねることを究極の理想とし、これは不動尊の姿に端的に表わされています。
つまり、右手の利剣は智慧を、左手の羂索は慈悲を象徴するものであり、全体として卑しい奴僕相に住するのは、大日如来の使者として衆生済度の働きをなすという方便行の象徴なのです。
換言すれば不動尊とは大日経系密教行者の理想像であり、当然のこと密教を基調とする日本仏教界では今日まで不動尊信仰が隆盛を極めることとなりました。
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